数学は権利を創出するか

この題名は，「Why thinking by numbers is the NEW WAY to be smart」＝その数学が戦略を決めるby Ian Ayres（文春文庫）からhintを貰った。
難解な解説書であったが，示唆に富んでおり，注意深く読ませてもらった。後にも紹介するいくつかの重要な教示がある。「教育の世界で賢くなりたければ，たぶん最大の敵は直感です。見るべきは子供達の成果なのです」と，
エンゲルマンGeorg Theodor Engelmannの指摘を紹介している。（註）ドイツ生まれのアメリカ合衆国の植物学者。
数学が権利の成否とどう関係するのかを考える前に，最近の経済状況を振り返ってみたい。

いま，日本企業のM＆Aで「のれん」の会計処理問題が再燃している。
国際会計基準IFRS，米国会計基準では，2010年来，資産計上されたのれんは定期的な償却の対象とせず，必要に応じ減損を行うとしてきた。ところが昨年，非公開企業に10年の償却という選択肢を加えた。国際会計基準審議会IASBも現行基準の問題点を検討しており，「非償却」を再検討する可能性がある。
日本は，03年公表の企業結合会計基準で原則20年以内で償却し必要に応じ減損するとしてきた。企業会計基準委員会ASBJが望ましいとしている会計基準でも，のれんの償却を求める修正を加える方向である。（1.15日経「経済教室」）
のれんは，企業が現有する資産以上の無形固定資産を表示するものである。表面的な価値を超えて存在する「超過収益力」である。ただ，これが貸借対照表に計上されるときと，されないときがあり，財務会計を複雑にしている。
　のれんは何時，どのような事情があれば資産に計上されるのか。
M＆Aで初めて資産計上されるような「のれん」に経済的価値があるのか，鑑定評価due diligenceしなければならない。のれんが帳簿上に表示されていないが，他企業に買収されるときには資産として浮上する，いわば隠れ資産である。
　昨年末，二つの企業買収が報じられた。
江戸時代から続いてきた「なだ万」があさひビールに買収される。老舗高級料亭がビール会社の傘下に入れば，その伝統は異質のものになるだろう。ノウハウは幾分は失われるだろう。都会でも高級料亭の需要が縮小して，多店化したあげく惣菜・弁当販売でそのブランド力が低下し，将来的な先細りは目に見えていた。200年近く続く伝統は守らなければならず，単独で打てる手は限られていた。出した結論が，「のれん」の売り渡しだった。大企業の傘下に入り，庇護を受けることで，将来へ一縷の望みを繋いだのかもしれない。
「なだ万」とは対照的に，質にこだわることで悪評から這い上がり，復活を果たした老舗料亭「船場吉兆」は，食品偽装問題を起こしてから大阪・北新地で再出発している。味がいいと評判で，注目を集めている。吉兆は現在，経営者一族の本名である「湯木」という看板を掲げ，それまでの多角経営をやめた。事業を絞り，味を求める本来の姿に戻った。伝統を守り通すか，大企業の買収に応じ，生き残りをかけるか。「老舗と言われる企業は，ただ漫然と同じことを繰り返すだけではじり貧になってしまいます。これからの時代，経営多角化や買収など，老舗は会社の将来を左右するような厳しい判断を迫られる状況に立たされることになるでしょう。」（なだ万関係者）
　今回の買収劇で，ブランド力も，長い時間をかけて蓄積されてきた職人技も失いかねない決断をした。それでも，会社の存続を優先させた。江戸時代からの184年の歴史を捨て新たな道を歩む名門料亭。その決断の結果を見守りたい。

もう一つ。
サントリーがビーム社を買収した。買収には「高すぎる」という批判がつきまとった。
ビームの13年12月期の売上高は2599億円。買収価格は売上高の6.3倍に相当するため，1兆6500億円の買収価格は割高だと指摘された。サントリーの酒類部門は国際化に立ち遅れていたため「ビームとの統合が最後の，唯一のチャンス」と佐治氏は位置付け，「（適正価格よりも）いくら出せれば買収できるのか。資金調達は可能かということが大きなポイントだった」と振り返る。そして，「大きな借金がリスクだが，世界のウイスキー市場はまたまだ伸びる」とも述べ，20～30年後を展望した場合，1兆6500億円の買収は高くないとの認識を示した。「投資は15年程度で回収することができる」という。
　グループ売上高4兆円を達成するために経営トップに就いたのが，ローソンのプロ経営者と評される新浪氏。就任早々，難問に直面している。大型買収によって，有利子負債と「のれんや商標権」などの無形固定資産が膨れ上がっているからである。
　ビームの巨額買収でサントリーHDのバランスシートは変貌した。14年12月期第3四半期（14年1～9月累計）の連結決算によると，のれん代は前年同期比2.5倍の1兆341億円，商標権は6.8倍の1兆2715億円。その他を含めた無形固定資産は3.6倍の2兆3662億円になった。長短借入金と社債を合わせた有利子負債は3.5倍の2兆324億円にも上る。
　買収によって「年間250億円の金利負担に加え，のれん代の償却費用も年300億円規模になる」との見通しである。ビームが借り入れた借金の利息を払い，のれん代を償却した後に営業利益が出るようにするためには，年間550億円程度の営業利益を最低でも確保しなければならない。これを下回れば，営業赤字に転落する。550億円を確保できないと，買収は成功したとはいえない。新浪氏は新年，社員に「やってみなはれ」と挨拶した。

「のれん」のように，純資産（適正価格）を超えて高く買収すれば，資産評価額が増える。超過収益力，信用，ブランドといい，これを得るために払った対価は費用（経費）として，将来の収益で償却されねばならない。
のれんの計算は，企業を買収した際に支払った金額と被買収企業の純資産の差額である。
償却（規則的に，又は一括して）は投資額を回収するための費用化の計算式といえる。
会計基準では20年以内に毎期定期償却するとされている。つまり，借金の利息の返済とのれん代などの償却を上回る利益を出すことが，経営者の使命となる。ところが，のれんに含まれる人的要素（「なだ万」でいえば料理人）は減価されない。人的な資産であるが，人は道具ではなく移動し就労が止むことがあるから，償却できない。
もし人が去れば，まるまる企業の損失になる。人的要素が大きい企業では，時限爆弾のように人がいなくなるようでは，見通しを誤った，という評価を受けることになる。
株価が下落してからあわてて減損するようでは，投資家に正しい情報を提供してきたといえない。逐年，償却できるよう利益を計上していなければならない。（例えば料理の腕を上げる）
「のれん」は見えない。競争の中で下落することもあれば，努力で増えることもあろう。会計的に償却せず減損すべきという考えには，のれんは維持して当たり前という思い込みがある。しかし，「なだ万」ののれんに維持は保証されない。
　客観価値をどんなに超えてものれんを収益で償却できれば，適正な企業買収価格であったという評価を受けられる。もし償却できないと，正しい買収価格でなかったことになる。
つまり，この場合の適正価格をはじき出すための数式は，将来収益の多寡（X）の見込み（不確実性）に依拠している。どうすれば将来収益を予測し，正しい買収価格を決定できるかを経済学上の問題として扱えないだろうか。