合衆国の陪審評決

前回，合衆国司法省の「制裁金」の不思議に触れた。ＮＨＴＳＡがいま調査しているが，ＧＭが10年以上も前に点火スイッチの欠陥を知りながら今年までリコールを実施しなかった点につき，社内の誰がいつ欠陥を知ったのかを知るための質問が多い。欠陥を知りながら放置していれば，責任はトヨタの比ではない。先月ＧＭに107項目にわたって質問したが，期限までに全体の3分の1を超える項目の回答がなかった。そのため，1日当たり7000ドルの制裁金が発生しているという。（ロイター）
「制裁金」はほかにもある。アステラス製薬の米国法人は，今月，キャンディン系の注射用抗真菌剤「マイカミン」をめぐる問題で，和解金730万ドルを支払うことで米司法省と合意した。司法省は，アステラスがマイカミンを米食品医薬品局（ＦＤＡ）の承認を得る前に小児用として販売していたとして調査していた。マイカミンは，司法省の調査開始後の昨年６月に生後４か月以上の小児への使用が認められた。承認前に売ったことで，730万ドルである。「制裁金」という行政罰は，日本の厚労省，法務省にはみられない。
　今日は，「陪審評決」の不思議について。
ジョン・グリシャム（John Grisham）の「巨大訴訟」(the litigators)を読んだ。
巨額の利益を上げる薬の副作用を巡って，小さな法律事務所が大薬品会社を相手に，薬害集団訴訟を挑んだ。コレステロール低下薬が心臓発作や脳卒中の原因となる事がわかり，死を招く恐れがある。むろんフィクションだが，参考にした裁判例はあるのだろう。
製薬会社の代理人には巨大ローファームの優秀な弁護団が代理人席につく。職権主義的な判事の訴訟指揮により，陪審審理に導かれる。数名で陪審審理の経験もない原告代理人弁護士は，医学的根拠や専門家意見も不十分なままに裁判に臨み，陪審を前に，巨大ローファームの弁護士にやり込められる。原告には和解で解決できると言って提訴を決断させ，陪審審理の前に和解したかったのに。和解を夢みた原告弁護士は，陪審の失笑を買って惨敗する。
　小説とは異なり，米ルイジアナ州ラファイエットの連邦地裁の陪審は，武田薬品に60億ドル（6100億円）の懲罰賠償を認めた。破格の賠償額に，原告弁護士の喜びは想像するに難くない。勝てば大金持ちになれるからだ。糖尿病治療薬アクトス投与が原因で膀胱がんになったと主張する男性が，武田を訴えていた。武田がアクトスと膀胱がんの関連性についての情報提供を怠ったというのだ。この高額の「懲罰的賠償」額はわずか45分で決定されたという。尤も，評決は判決ではないから，賠償が決まったわけではない。ただ，賠償金としては過去最大級。武田株は急落した。
　ルイジアナ州連邦地裁という点に注目したい。薬害はどこにでもありうるから，複数の州の裁判所に問題が出される。どの州で裁判するかが勝敗の分かれ目になることがある。どの地裁の判事がどういう人物かを見極めるのが，提訴時の重要な鍵になると小説は言っている。原告には，和解を強く勧める判事が好ましい。
その賠償額はいくらになるのだろう。
アクトスは，米食品医薬品局（ＦＤＡ）が1999年に発売を認可し，2010年，服用でがんにかかる危険性が高まる恐れがあると発表した。武田は，「がん発症リスクを隠した認識もなく，がんを引き起こす確かな根拠もない」と反論した。
評決は，武田だけでなく販売提携する米イーライ・リリーにも30億ドル（約3100億円）の賠償支払いを認めた。武田の分と合わせると90億ドル（約9200億円）にも上る。
陪審が高額の賠償金を出すのは，加害者を懲らしめるため。同様の事態を引き起こせば高額賠償を求められることを世間に知らせ，再発防止につなげるためでもある。
責任や賠償額は，陪審や裁判官の裁量に委ねられる。このため，被害者の状態や加害者の行為に対する判断者の「主観」が反映され，賠償額が過大になることもある。

マクドナルドの例があった。熱しすぎたコーヒーでやけどしたニューメキシコ州の女性が損害賠償を求め，女性の主張が受け入れられて，94年に300万ドルの賠償金を認める陪審評決が出された。
　たばこメーカー大手5社が，がんや心臓病などにかかったフロリダ州の喫煙者らに損害賠償を求められた集団訴訟では，総額1450億ドルの賠償金を原告側に支払うことを命じる評決が2000年に出された。
　
武田の評決は，わずか1時間10分で指摘された全14項目の問題につき武田の責任を認めた。その後45分で巨額の賠償額を決定した，という。（ロイター）
なんとすごい能力をもつ陪審員だろう。評議では，どんな責任，賠償額の議論が交わされたのだろう。証拠開示がなされ，がんを引き起こす危険性が医学的に証明されたのか。
そうであれば，このような薬を，なぜFDAは新薬として承認したのか。FDAの責任はないのか。そもそも議論されたのか。興味は尽きない。
FDA査察には次の３種類があるという。（山岡尚志「FDA査察」参照）
　　①承認前査察，②承認後（定期)査察，③特別(クレーム）査察である。
武田の場合は，新薬承認時はがん発症のリスクは発見されなかったが，使った男性のクレームで査察したところ，発症のリスクが発見された，と推測される。おそらく男性は，自分のがんの原因がアクトスにあると考え，医学的な鑑定意見を用意した。
武田は，がん発症のリスクがあることを知りうる立場にあるのに，必要なテストをしなかった。（武田がデータを隠してまで新薬承認を得た，とは思えない）
外国の製薬会社が合衆国で新薬を販売するにはかなりのテストを重ねるのが常道である。日本と違い，合衆国は審査が大変厳しい。であるのに，がん発症のリスクを予見できなかった。そうだとすると，どこを間違えたのか。大変な事件になりそうだ。尤も，武田は評決に承服してない。評決の取り消しを求める方針を表明している。
アクトスは07年には世界で4000億円を売り上げていた。11年に特許が切れるまで莫大な売り上げをもたらした（年商10億ドル以上を稼ぐ「ブロックバスター」）。販売高が大きい分，懲罰賠償額も上がったのだろう。
カリフォルニア州など複数の裁判所の陪審は，昨年，武田の損害賠償義務を認めたが，判事はいずれの評決も無効とした。したがって今回も無効となる可能性がある。少なくとも減額される可能性がある。
しかし，アクトスをめぐる米国での訴訟は数千件に上るといい，その訴訟対応には相応のコストが必要になる。今回の陪審が示した賠償額が余りにも巨額だったから，業績への影響に対する懸念も膨らみ，株価は急落した。

合衆国のような陪審裁判が日本の文化に受け入れられるとは思わない。権力が民衆を裁くのではなく民衆が民衆を裁く歴史がないと，陪審裁判は根付かない。日本はまだそこまで，民衆が自信を持つに至っていない。最高裁判所判事の選任，裁判官国民審査に国民の関心（監視）が低いのも，裁判所が間違うことはない，自分が裁判にかかわることはない，と思い込んでいるからだ。紛争があっても裁判で白黒決着つけるのは怖い。さりとて隣人に裁かれるのはプライドが許さない。自分の紛争を自分で解決するほど有能ではないから（自分のことは客観評価しにくい，扱いにくい），専門家に解決してもらうしかないが，どうしたわけか，あまり専門家にも頼まない。穏便に解決し，平和に暮らしたい民族である。ただ，最近の近隣諸国の動きや国際情勢をみると，平和に暮らしたいだけで何もしないのでは，平和はどんどん遠ざかる。隣人，隣国ともよく議論し，問題を曖昧にしておかない方がいいのだが。