November 17, 2015

情報操作と選挙数学

大阪府知事,大阪市市長選挙が行われる。いま,選挙活動の真最中で,大阪の街は賑やかだ。
ある選挙ビラには「有効求人倍率を0.68倍から1.19倍に,雇用創出を5年間で累計15万人に,来阪外国人旅行者数を160万人から375万に増やす」「子供主体の教育改革,安全・安心の街作り」と書き連ねられている。
このような選挙広報は投票してもらうための情報提供だか,そのまま実現できるとは誰も思っていない。候補者が何を目指して立候補したかの判断資料として用いられる。
さて,ここで取り上げるのは,こうした選挙広報の効果についてである。はたして情報提供もしくは情報操作が投票結果にどのような影響を及ぼすのであろうか。政策論争こそ情報提供・情報操作の最も重要な手段であるべきことは間違いないが,投票結果に直結するかと言えば,必ずしもそうとは言い切れない。候補者の知名度,党首の経歴,演説の力,はては外貌や発声の善し悪しで投票を決める有権者が少なくないからである。逆に言えば,大衆(もとい,有権者)に訴える雰囲気をより多く持っている方がより多くの票を得る可能性が大きい。学者のように理路整然としている候補者が当選することは経験上ほとんど無い。
 情報操作は選挙戦術として重要である。操作と言えば聞こえは悪いが,何を最重要課題として訴えるかを選別し,どう投票に向かわせるかと言い替えれば,理解されよう。
 情報操作とは何か。よく言われるのは,証言・記事・写真・映像を選別したり、虚偽またはそうならない範囲で改変することによって,その情報を受け取った者が受ける印象や判断結果に影響を与えようとする意図的な行為のことを指す。
 要するに候補者に都合の良い情報だけ有権者に効果的に提供する選挙戦術である。
もと,情報操作は第二次世界大戦ころから,国家規模で行われるようになったが,行為自体は古くからある。日中戦争時では大日本帝国と中国国民党や共産党などが情報戦の一環としてこれを行った。ニューヨークタイムズやライフなど民間メディアも日中戦争を題材に盛んに情報の操作・加工に挑戦して,読者に大きな影響を与えた。
 目的に沿って情報操作の手法は異なる。ある対象に有効である方法が別の対象に有効であるとは限らない。情報操作する人数と対象となる人数の大小で,手法も変わる。
1人が対象であれば,情報操作するのは容易で,マインド・コントロールや洗脳ができる。
集団が相手のときは,容易ではない。手法も洗練されなければコントロールできない。
キケロは紀元前81年,法律家としての活動を始めた。曲折を経て,66年法務官に,63年執政官に就任し,国家転覆事件で首謀者を死刑とする判断を下し,元老院から「祖国の父」の称号を得た。ところが,ローマ市民による裁判でなければ死刑にできない,というローマ法に反しているとの批判を受け,ローマから追放された。そのときの元老院での演説「カテイリナ弾劾演説」は有名である。彼の「弁論家について」De Oratoreがある。
・弁論の順序は,まず聴衆の心をつかみ,最後に相手に対する反論を述べる
・即興の弁論ではなく,時間を掛けて案分を練る練習を重ねよ
・論理より感情
・ジョークやユーモアが大切
・全体を考察したうえで,出だしの文句を推敲せよ
・民衆の心を掴むには気の利いた文句が効果的(とくに大阪人にはそうだろう)
・言葉で状況を見えるがごとく描写せよ
・弁論は国家の命運さえ左右する
・理論より実践が大切
・弁論の場数を踏め
・弁論の間には,時々声のトーンを変えるのが弁論を魅力的なものにする
・声のトーンは最初から大きくしない。徐々に上げていくのが効果的
ほかにもあるが,選挙演説を聞かれていくつか思い当たるのではなかろうか。
このように,大衆・群衆を誘導する手法は古来詭弁術として発展した。現代は,マスコミやスマホなどの情報提供手段が発達し,視覚・音響など直接の言葉以外の伝達が広く行われている。情報の選別に迷う時代に突入している。提供者が情報操作しようとしていることはいうまでもない。匿名,日常会話,攪乱,感情の共鳴,ブーメラン効果,ハレーション効果,プレゼンス効果,情報封鎖,仲介者の利用,分類表,コメント,事実の一部強調,原因・結果の類似事例,フィードバック,側面迂回,注意転換,史実の書き換え,観点の偏り,反復,すり替え・・・。実はすべて旧ソ連共産党が用いた手法である。
選挙のように,集団が相手のときは,集団内部からの批判に耐える必要があり,情報操作していることを見抜かれないようにしなければならない。狭い場所で集団心理を利用すれば,異常な昂揚やパニックを利用することもできる。個人でこれに直面するときは集団心理に煽られることはない。法律家としては,株主総会,住民集会,公開討論会,経営不振・経営不始末の釈明の場で,多数の利害関係人の心理がどう動くかに大きな関心がある。
冷静な頭脳集団のはずが,予想もしない状況では集団心理に動かされて興奮してしまうことは私も目の前で見た。国会議員ですらつかみ合いすることだって報じられている。
 情報操作には,データが必要である。間違ったデータで相手を錯誤に陥れることも可能である。一応,客観性を装うが,選挙広報では落とし穴が潜んでいることの方が多い。
例えば,マスコミの事前情報収集「あなたはどう思いますか」にも問題がある。
 ・賛成
  ・どちらかと言えば賛成
 ・部分的に賛成
 ・条件つきで賛成
 ・どちらでもない
 ・反対
これが私たちが日常目にするマスコミの情報である。果たしてどれだけ選挙民心理の実態を反映しているか疑わしい。日本人は極端を嫌う。賛成も反対も両極を避けたがる。そこで,このデータの取り方が問題になる。程度問題であるが,「賛成」の項目が多いからだ。このような項目での中間集計は,まだ誰に投票するか決めていない人の心理に大いに影響する。賛成に誘導する意図が見え隠れする。マスコミは街頭集計の方法に注意しなければいけない。そうでないと,新聞社によって「どちらかと言えば反対」が,「どちらかと言えば賛成」に分類されるおそれが生じる。世論調査の名でこのようなアンケート項目を設定すれば,特定の方向にノンポリを導くことも可能になる。
デユヴェルジェの法則によれば,順位が次点以上かそれ未満かで当落を予測できる
1 最悪の場合でも候補者Aは次点になる → そのとおりになる
2 候補者Aは次点以上になれない → そのとおりになる
3 Aは絶対当選する → 1と同じに結果になる
4 Aは支持者を殆ど失い次点で落選する→批判票の受け皿として当選することがある
5 Aは終盤まで支持を広げ,次点の次まで順位を上げる → 支持を失って落選する

なぜそうなるか。アナウンス効果にも限界があるということだ。事前報道予測が選挙制度のナッシュ均衡の一つを表現しているときは,予言(予測)が実現する。どの新聞社が別々の分類項目で調査して予測しようが,結果は変わらない。ナッシュ均衡から外れていれば,報道を操作(情報操作)しても,報道内容は実現されず,ナッシュ均衡が実現される。
つまり,情報操作にも限界がある,というのである。地方自治体首長選挙だけでなく,国政選挙や米国大統領予備選挙にこの法則を当てはめることができるか,マスコミ報道をチェックしてみてはどうだろう。

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September 14, 2015

数学は権利を創出するか(10)

教育の目的と成果をどこまで数式化することができるか。教育と学習の究極の目的や成果は,個人の努力と周囲の協力にふさわしい社会的評価を得られるかにかかっていよう。
もっとも,宗教家,芸術家は世俗の評価(価値観)と違う人生の目標を持っていることがあり,受けた教育や周囲の期待とは無縁の人生を送ることもある。
したがって,教育の目的や成果をすべての人に共通のものとして論じることはできない。
合理的に考えれば,投資に見合う成果が教育にも求められる。世の親は何も期待しないまま子に莫大な投資をしない。それは我が子への愛情とは別の問題のはずである。
その投資は成長期にある青少年に持続的な探求心と解析力・応用力を身につけさせるためになされる。親は生涯を通じて人生を豊かにさせるよう,親に失望させないような教育を我が子に与えることを考え,そのためにいかなる努力や投資もいとわない。
つまり,世俗的な意味での教育の数式化は,対象とされる若い世代の将来の投資効果を期待して学校,大学教育に組み込まれ,効率的なカリキュラムが考案され,用意される。

先日,「入れる」より「学びたい」大学という記事を見た。(9.9日経)
教育を与えられる側の受け止め方についての記事である。
何処の大学でも入ればいいというのではなく,何を学ぶかで大学を選べ,という新しい学問のすすめと理解した。大学入試に合格したものの自分のしたいことと違う。親が会社社長,職業専門家だからそのような学部に強く受験を勧められて合格したものの,自信がない。本当に勉強したかったことはもっと違う所にあるのではないか,と思い始める。授業を休み,ついに休学・退学して入学を喜んでくれた周囲を驚かせる。ここからが,自分が納得する教育や学習が始まるというのである。
 無駄な時間・労力を使ったように見えるが,周囲に流されずに人生を生きるとはどういうことなのか実感することはとても大切だ。振り返ってみて初めて分かることだと思う。と言っても,何時までも進路を模索するような悠長な時間の無駄遣いは許されない。
なるべく入学者と大学側のミスマッチが起きないような仕組みがあれば,関係者への大きな福音になる。最近,大学も入学希望者とのミスマッチを防ぐ方法を考え始めた。
学部・学科別の留年者数や中途退学者をホームページに掲載する。参考事例もいくつか紹介する。こうして入学後の大学の様子がホームページを通じて受験前に把握できるというのは,受験生にとって重要な事前情報の開示になる。受験を動機付け,決める要因になる。

私立学校振興・共済事業団は全私立大学600校のうち,568校の基本的な共通項目についての情報を集めた。大学側もそれぞれの特色をアピールできる体制を整えつつある。
例えば,全大学の教員一人あたりの学生数,入学者出身地等のデータ分析を進められる。私学の雄である早稲田と慶応のどちらかを決める基準は,学校の歴史や特色,出身者の職歴が検索できるから,受験生親子に分かり易い。何より有名だ。
有名でない大学はこうはいかない。隠れた特色があるのだが有名校の権威に押されて名前が隠れがちである。近畿大学はマグロ養殖に限らず,社会が求める研究・実験を続けて,多くの受験生を集めている。その教育の成果が実利的でわかりやすい。
 こうした実証的なデータを提供さえすれば,青少年の関心を引きつけることができる。もはや,早稲田・慶応の時代ではあるまい。要するに,大学とは教育を受ける場ではなく、自分で学び研究し人生と社会に還元する場となっている。
 国立大学には国の補助金(助成金)を運営費として獲得できる大きな利点がある。
1クラスの人数にみると早稲田160名に対し,埼玉大学40名。教官が教える密度が国立は私立の4倍にもなる。これでは,入学時に少しばかり偏差値が高かった程度では太刀打ちできない。しかも,早慶の50%が推薦入学。彼らは受験入学した者に学力は遠く及ばない。受験入学者が偏差値60で上位層を形成しているももの,その下位層は,そこから大きく離れた50台。足して2で割れば,せいぜい57という。(実証値か,まだ分かりません。彼らの名誉のために弁解の余地を残します。)理系に限ってのことだが,6年後の結果は,早慶生のトータル偏差値は中堅国立大学の偏差値と同じになる。
 なぜそうなるのか。理系大学生は毎日課題に追われ続ける。遊ぶ暇もない。その教育密度が4倍。さらにそれが6年間続けば結果がどうなるか,教育の数式と答えは自明だろう。
合格者定着率を見ると,早稲田大合格者数18300人,辞退者12640人,辞退率69.1%。
つまり,上位7割は辞退し,正規分布の一番後半の30%だけが入学している。これが入学者平均になる。おそろしいと思わないか。
決して早慶をけなしているわけではない。入学後の大学教授の陣容と設備,学生数との比率を考えると,学習・研究の密度は私学に比べて遙かに濃いという回答が数式の帰結として得られると言っているだけだ。私学の苦しみが伝わってくる。
 以上のような国立優位の指摘は,理系に限ってのことだ。文系では,教授陣と学生数の対比などを学習・研究の密度の参考にすることはできない。教授の個別指導が学生の質を高めるというより,学生の自覚と切磋琢磨の方がより大きな効果を上げられるからだ。

 次は高校教育の問題点。
いまだに,有名大学進学率で高校の優劣が決められている。
有名大学であれば何処でもいいということにはならないことは、すでに述べた。
いまや大学進学率は50%を超えている。その気さえあれば殆どの人が大学へ行けるようになった。しかし,世界の大学ランキング400位以内にある大学は23校あったのが,13年現在14校に減った。大学の実力は年々落ちている。そうすると,目指す大学の選別はなおさら重要な作業になる。自己決定権のない青少年期の学校教育が重要になる。
有名大学への合格率が進学校の評価を決めるのか。突き詰めれば,生徒が将来何を目指しすかを真剣に考えて教育を受けているかにかかっている。エンジニアやパイロットになるのに東大をめざす必要はないだろう。
自分の目標に適した教育を受けることが,大学選別の指標になる。よき指導者と学友を得ることにつながる。高校の優劣は,有名大学への進学率の比較ではなく,進路に相応しい大学の選択ができたかの多元的な価値観によるべきではないか。
なぜ今頃,こんなことをいうのか。職業的専門家(士業,師業)の地位が昔ほど高くない。
医師,弁護士,公認会計士その他,数は増えるが仕事は厳しく報酬は増えない。資格取得や制度改革がひずみを大きくしているのは事実だが,適材を得ていないという批判もある。青少年教育には,適材を育てるという社会の強い要請があることを改めて想起したい。

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July 31, 2015

数学は権利を創出するか(9)

上場企業の役員報酬が増えている。増額の数式を探ろう。
2015年3月期に1億円以上の報酬を受け取った役員は,211社411人となり,前期より20社,50人増えた(7.26朝日)。会社別では三菱電機が23人で最も多かった。2億6000万円の社長を始め,1億円以上の報酬を受け取った役員は5人増えた。次に多かったのがファナックで1人増の11人だった。
業種別では72人の電気機器が最多で14人の増。次いで商社の45人。資源ビジネスで多額の損失を計上した住友商事が4人からゼロになり,商社全体では7人減った。
個人の上位に日産自動車のカルロスゴーン会長兼社長の10億3500万円が入った。ベネッセホールデイングスの原田会長は1億4200万円。ソフトバンクの副社長に招聘されたニケシュ・アローラ氏は契約金を含めて165億5600万円という巨額を受け取った。
この人達が1億円以上の報酬を受け取るにはそれなりの合理的な理由があるのだろう。
しかし,庶民にはその合理性を測る物差しがない。サラリーマンの生涯賃金の平均額は,大卒で定年(60歳)まで勤めた場合のトータル給与額は平均で約2億5371万円。退職金の平均額2175万円(中央労働委員会調べ)を加算した“生涯賃金”は2億7492万円。40年働いたとすると,平均年収は675万円となる。実質経済の伸び率を加味すると更に低い。従業員の平均年収と役員の報酬の差は確実に広がりつつある。
役員報酬は好成績を反映し易いが,コスト増につながる従業員の年収増には慎重だ。
役員報酬の最高額で見た上位100社の従業員の平均年収753万円で,役員報酬の伸び率と比較して前年からさらに下がった。これは社員の給料は伸びにくいが,企業トップの報酬は高額化しやすいことを意味する。企業が従業員の給料を上げたがらないことが分かる。給料をいったん上げると下げにくい事情もある。社員は役員だけ増益の恩恵を受けて高額報酬をもらうのを納得するだろうか。今年3月期の役員報酬を高額順にみて,従業員の平均年収の何倍あったか。
 日産自動車ゴーン社長133.3倍。ユニバーサルエンターテイメント岡田社長139.8倍。日本調剤三津原社長117.7倍。信越化学金川社長64.3倍。ファナック稲葉社長38.1倍。(7.26朝日)
サラリーマン人生で多額の出費が必要な中間管理職世代は,何かを感じているに違いない。

 課税上の問題もある。高額すぎる役員報酬は必要経費にならない。何億円も役員報酬を払って利益を減らしたつもりでも,損金処理されない。毎月同じ時期に同じ額が支払われるなら,その役員報酬は経費に認められる(法人税法34条1項1号)が,定期同額給与から少しでも外れれば,会社の経費として税務署に申告するはずだった役員報酬は経費にならず,法人税の支払い額が大幅に増えてしまう。業績悪化の時は,法人税額を意図的に操作しようとして期中に報酬額を減額しても,損金算入されない。
逆に,期首の予想より会社の儲けが多くなったとき,経営者は自分の手腕を評価して報酬を増やしたい。とくに社長はそう思うだろう。しかし,やはり会社の利益を操作して法人税の支払いを意図的に下げることになるから,「定款の総額の支給限度内であること,不相当に高額でないこと」などの条件が付される。尤も,「不相当に高額」とは何を言うか,税務署も基準がないから,10億円でも通る。役員報酬の大幅増はお手盛りになるので,株主はもっと関心を持っていい。
経営者のミッションは,株主や債権者から預かった資金を効率的に運用して利益を上げることだから,総資産(総資本)に対する利益の割合を表す投下資産利益率ROA(当期純利益÷総資産)が,経営効率を測定する指標として用いられる。
 このROAはピケティのrと同義と考えられる。そしてgは企業の売上高増加率に置き換えることができる。つまり,ピケティの法則を企業に適用するならば,ROAの伸び率は,常に売り上げの伸び率に勝っていることを意味する。(資本の蓄積の速度が総所得の上昇速度より速い。「資本の収益率(r)∨総所得の成長率(g)」)
こう考えると,巨大企業がますます巨大化する理由が見えてくる。ROAは常に売り上げの伸び率より高いので,利益は売り上げの伸び以上の速度で増え続ける。その結果,巨大企業の資本は増加を続けて投資も増える。こうして巨大企業の利益と資本は増殖するのである。蓄積された資本の多くが内部留保される。金融機関からの借入を返済し自己株式(金庫株)を償却するのに使われる。従業員のベアは後回しにされる。企業利益の行き先を見ると,
         経常利益     内部留保   役員報酬      
  1997年 15兆1000億円 142兆円 30兆円
  2007年   32兆3000億円   228兆円  29兆円
  2013年   34兆8000億円   285兆円   26兆円  

経常利益の増加と共に内部留保が増加してきたことが分かる。とくに2007年以降増えた理由は次の通りである。
真っ先にコストの削減が行われた。賃金を切り下げ,非正規雇用労働者を大量に雇用(約40%)した。下請け単価を切り下げた。法人税率が消費税導入前の42%から30%まで大幅に引き下げられた。固定費を抑えることで経常利益を増やし,内部留保する。借入金返済・自己株式消却等の資本増強が行われた(米独企業に比べて相当低い一株当たり利益(ROE)や株主総資本利益率(ROA)改善などされ,株価の上昇が期待できる)。
役員報酬は減らさなかった。20年くらい30兆円弱で推移した。
企業利益の使途は次が株式配当である(大株主を意識せざるを得ない)。役員功労金を払い,政治献金し,最後が従業員のベアである。中低所得労働者はいつの時代にも貧乏くじを引かされる。労働者の賃金は,1997年の220兆円から2009年には192兆円に減っている。
末端まで水が流れるためには水源の量の多いこと,パイプの流れも良くなければならない。パイプの途中に障害物が様々に用意されていると,末端の水量はチョロチョロしか出ない。
いま,労働者の実質賃金が目減りしていると言われているのは,企業の儲けが各種障害物に取り込まれているからだ。この仕組みを経営者と会計専門家は百も承知で毎期の株主総会に提案しているから,株主も企業利益再分配先を注目しなければならない。
経営者と労働者は,共通の利益を追求する関係にあったはずだ。企業利益が労働者に正当に還元されないと,疑心暗鬼(囚人のジレンマ)が生じるおそれがある。

東芝の歴代3社長が辞任した。1億円を超えた役員報酬も,不適切会計(むしろ「不正」)が経営判断として行われた(第三者委員会報告)。平成21年3月期から26年4~12月期の税引き前利益の要修正額は1518億円で,社内調査の44億円を合わせると,1562億円に上る。社員に不当な指示までして営業利益をかさ上げするのは,経営者のすべきことではない。社外取締役の一人は,頼まれて就任しただけだから不正会計のことは何も知らないと言い切った。彼にも相当額の役員報酬を払われていることを忘れた発言である。
テレビで街の声を拾っていた。「上司の指示が不当と分かっていてもそれに従いますか」という質問に対し,何人かのサラリーマンは「従う」或いは「従わない」と答えた。
 ここからはゲーム理論を応用できる。不当な指示に従えば,覚えめでたい部下として可愛がられるが,指示の違法・不当が明るみに出たときに,共犯・従犯の責任を問われるおそれがある。不当な指示を拒否すれば,正しいことをした自負はあるが,出世が遅れ,配置換えされるかもしれない。企業利益の追求はいつも正しい方法で行われるとは限らない。
 目先の利益を追うか,将来の人生に賭けるか。東芝事件は,サラリーマンがいつ直面して判断に悩むかもしれない難問を突きつけた。悩んでどちらを選択するかは,どの点を優先するかにかかっている。自主的に談合・カルテルを申告すれば課徴金を免除するような課徴金減免制度(リーニエンシー)類似の報償がないので,部下も迷うのだ。
 企業には社会的責任(CSR)があった。私的利益を追及するだけでなく社会に与える影響の責任である。経営トップはこの精神の実現が自らの役割であることを認識し,率先してその徹底を促し,実効ある社内体制を確立するはず。経営トップは不祥事の原因究明,再発防止,的確な情報の公開を遂行し,自らを含めて厳正な処分を行うはず(2010年経団連「企業活動憲章」)。企業の経済活動は利害関係者に対する説明責任を伴い,説明できない企業は市場の信頼も得られず持続できないことになっている。
東芝社長のように,内部統制を構築してもトップ自らその機能を奪おうとするのであれば,労働者はその道連れとされないために,「憲章」の存在を指摘してはどうだろう。


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July 24, 2015

数学は権利を創出するか(8)

 従業員の現実の給料とあるべき給料の差をゲーム理論で解明することは可能か。
どれくらい仕事に励めば,給料が上がるのか。給料と企業の収益力の関係を決定する数式は見あたらない。
成果主義で決めればよいといわれた時期もあったが,何が成果なのか,基礎研究部門か,営業部門か。違う仕事を横並びで比較できるのか。評価の指標もいろいろあって定まらない(例えば,労働時間,勤続年数,成果(歩合,実績),効率性,職務遂行能力,職務内容など)。
決算期の経常利益(限界利益-固定費)が少なくなっても従業員の基本給は下がらない。もともと日本企業の年功序列型賃金は生活保障としての基本給として位置づけられている。
できる人には高給を払って仕事もさせた。雇われ長期的にみて充実した仕事をすれば昇給に反映されて,終身雇用は労使双方にとって有益だった。
いま,この終身雇用が崩れつつある。なぜだろう。能力や意欲があっても,上司がそれに相応しい仕事をさせ評価しなければ,やる気をなくして会社を辞めてしまうかもしれない。上司と部下とが良い協力関係に立たないと,お互いが疑心暗鬼になる(囚人のジレンマ)。企業の活力が失われる。
長時間労働だけが,成果の指標ではない。
 ところが,給料を払い続けるためには限界利益(売上高-変動費)を上げなければならない。評価の指標にはむろん,労働時間も含まれている。
欧米では多くの正社員で労働時間に制約があるのが一般的で,評価の指標とされていない。(労働政策研究・研修機構,浜口桂一郎氏)
 欧米では,専門職や管理職を除き,雇用契約に労働時間,職務,報酬が明記され,その範囲内で働く。成果主義など「どの程度できたか」を測るのは一部の層のみという。
 日本でも法律上は裁量労働者を除いて労働時間は限定されているが,多くの総合職で実態は異なる。正社員で残業がないのは2割弱。国際労働機関(ILO)によると,男性雇用者のうち,週当たり労働時間が49時間以上の割合は日本で4割近く。米英の2~3割や北欧の数%に比べると,韓国に次いで高い(04~05年)。
 それでは,日本の労働環境は特殊なのか。故青木昌彦氏(スタンフォード大学教授)の説明はつぎのように解説されている。(日経経済教室「青木氏の比較制度研究」松井彰彦)
長期雇用や年功制のような労働慣行を分析するとき,日本人独自の性質に帰着させることが多いが,アダム・スミスに遡り,人間や企業の行動原理を考えるとゲーム理論で説明できるはずだ。つまり,個々人の意思で行動しているように見えても,一つの流れになる。これを「文化」と呼ぼう。実社会では,一つの流れに沿って人は行動している。
流れに逆らうよりも流れに沿って行動する方が楽なはずだ。そして,その流れは次第に増幅・補強されていく。長期雇用や年功制も同じ。長い付き合いの中で「相互交換ゲーム」(青木氏のいう「コーポレーションの進化多様化」)が行われる。若い人は年輩者の教えを乞うことが繰り返されていく。その代わり,賃金は若い社員が年配の社員を支える。若い力は企業に発展性・成長力を与える。だから,若い社員を減らしてはならない。年功性を瓦解させてはならない。
この青木氏の説明が正しいかは,私には分からない。しかし,次のようには言えそうだ。
正社員を温存し非正規社員を増やせば,一時的には企業収益が高まるが,将来的には若い社員が辞めていくから企業が衰退する。これを防ぐには,若い社員に将来の希望を持たせられるような制度設計をしなければならない。今の労働法制には,この視点がない。
 いまの労働法制の何が問題なのか。
ピケティは「21世紀の資本」で次のように大別している。
①先進国では,長期的・趨勢的に労働分配率が低下し,資本への分配率が上昇している。
②資本の分配率上昇の恩恵をより大きく享受しているのは中間層ではなく富裕層である。
ピケティは,二つの指標でこの事実を立証した。ひとつは総資産/総所得比率,もうひとつは所得上位十分位(つまり,10%の高額所得者)の総所得に占める割合である。
企業は儲けを資本に蓄積し,労働者に労働の対価を払うのを嫌う。そうすると,富は偏在していく。もう一つは,高額の役員報酬が従業員の労働意欲に与える影響だ。労働者全員が将来役員になることはできない。定年まで勤め上げ退職金をもらって辞める人が殆どだ。
途中退社は,再就職しても過去の実績が評価されないから,経済的不利益を覚悟しなければならない。
頑張る従業員は,どうすれば給料を上げらてもらえるか。仮に成果を上げたとして,誰がそれを正当に評価してくれるか。
 労働契約法(平成19年)では,労使対等の立場にあることを前提に,契約により労働条件は定まる。その契約は原則として就業規則を守らねばならない。労働の期間を定め終身雇用しないこともできるが,何度も反復して契約期間を更新していると,従前と同じ条件での雇用を承諾したとみなされる。法の建前としては終身雇用の修正を認めている。
この制度が終身雇用を希望する労働者の意欲を削ぐか,それとも転職の自由を保障するか。
憲法22条は職業選択の自由を保障する一方,生存権(25条)勤労の権利(27条)も保障しているから,契約自由とは言いながら,労働者の不利益に労働条件を決めることは許されない。ところが実態をみると,非正規労働者(有期契約労働者,派遣労働者,パートタイム労働者)の労働は法の要請の無視したものになっている。
非正規労働の特徴は,1.給与が少ない(単位時間当たりの給与が低い、退職金がない、ボーナスがない)2.雇用が不安定(有期雇用)3.キャリア形成の仕組みが整備されていない(幹部までの昇進・昇級の人事系統に乗っていない、能力開発の機会に乏しい、就労を重ねても知識・技能・技術の蓄積されるような業務でない)である。
景気が悪くなると真っ先に解雇される。一定の条件を満たさないと,社会保険(健康保険・厚生年金),労働保険(雇用保険・労災保険)に入れない。企業側も長期雇用を約束できないから,有益な情報を提供できず,人を育てられない。企業には人員増減に便利な制度かもしれないが,短期的収奪型経営に陥りやすい。したがって長期的な展望を持つ企業には,この契約型労働体系は不向きといえる。非正規労働者の割合は,日本に2000万人超,全労働者に対する割合は約38%に上っている。一例を挙げると,日本郵便の郵便事業部は社員総数18万1000人のうち,非正規雇用社員が8万3000人もいた。総数を2万1500人減らす計画がある。郵便配達なんて誰がしても同じだから,非正規社員をリストラするのが早い。2012年までの4年間に6万9300人もリストラされた。残った人たちも給料は正規社員より低く,これを不満として正規社員との差額賃金請求の裁判を起こした。いま,労働者は正規と非正規の差別撤廃(法20条)を訴えている。とりわけ外食産業の非正規労働者への依存率は高く,労働条件も悪い。収奪型の企業はこうして資本を蓄積していく。(ピケティの「資本」論)
 労働の質と対価を,未だ労働者が自ら決められる状況にはない。労働者は転職又は起業しない限り,労働者を雇う企業が長期収益型を目指しているのか,短期収奪型を目指しているのかの企業側の都合で決められているのが実態ではないか。
労働と質・量と対価(給料)との関係を数式化するのは,産業や伝統,労働組合との関係,開発力・発展性がどれくらいあるかによって様々に変容し,共通の原理を見い出すのは難しいのではないか。


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June 24, 2015

数学は権利を創出するか(7)

  2ヶ月余,お留守にしました。ごめんなさい。今日は,社会的評価はすべて数値化されるかの話です。
日経新聞「私の履歴書」に上場企業の元経営者が掲載されている。
この連載の期間は特にその出身企業については,「業績悪化」や「不祥事」などのネガティブな記事は掲載されにくく,ポジティブな記事は掲載されやすい可能性が高いという説があるが,これは正しいか。
 「私の履歴書」には呪いがある(但し,2005年~2015年)という説がある。(山崎元氏)
岡三証券が「履歴」登場の企業のROEと東証登場一部の平均ROEを比較してグラフ化していた。グラフ上Tの記号で,登場の前年をT-1,その前をT-2,登場の後をT+1,T+2と表示し,Tとどれだけ変化したかが分かる。見ると,登場した年は東証一部平均より2%近くROEが高いが,翌年はほぼ同じまで下がり,2年後には東証一部平均より2%以上,下回っている。経営指標として話題のROEが4%も下がるとあっては,企業としては一大事だ。
これは,この10年間に起こった「たまたま」の現象なのか。この現象には,何らかの納得的な理由があるのか。或いは,「私の履歴書」で書かれたことがROE低下の原因なのか。
 近年,中学入試問題などで,データを見せて「このデータから何が言えるか?」と問うものが増えている。考える力を養うことがもとめられている。数字をどう解釈するかは,見る人でそれぞれ違うことを前提に,このような問題を出す。正解はないと言ってよい。それでも構わない。答を覚えるのではなく,論理的に物事を考えさせることが大切だからである。「履歴書」に出るとROEが下がるのはどうしてか。何か理由があるのか。
 最近は,松本京大前総長の「履歴」が連載されている。私と同学年だった。知らないことを「履歴」で聞かされて,そうだったのか,ずいぶん苦労されたんだなと思う。もし,「履歴」が終了して,国立大学法人としてのROEが下がるようなことがあれば,大変だ。
(注)国立大学法人には企業と違う経営指標がある。ROEではなく,国庫の補助金を貰うための業績が求められる。総長は成果を挙げるべく研究者を鼓舞しなければならない。

「この10年だけ」を考える岡三証券栗田氏は,1996年~2015年に対象をした調査も行った。この間の登場企業数は83社。これらの企業の相対ROE推移の平均像はT-2(登場前々年)が+2.0%で,T+2(登場翌々年)は-3.0%,さらにその翌年のT+3では-4.0%という惨憺たる結果が出た。同氏は“「私の履歴書」に登場したら最後,その後は呪われたかのように決まってROEが低下する”ということが判明したとレポートしている。
「私の履歴書」登場後だけで4%,前の期間も含めると6%もの相対ROEの低下があるといわれる。
 絶好調の企業業績は「平均回帰」するから下がっても不思議ではないのか。つまり,絶好調の企業の功労者だけが「履歴」に登場するから,連載終了後は平均回帰するのは当たり前なのか,という議論である。山崎氏は,次のように考える。
 媒体が経済紙で,「私の履歴書」には企業人が1年12ヶ月のうち4~5人程度登場するが,それらの企業人はくじ引きで選ばれるのではなく,知名度があり,業績も好調ないし少なくとも順調な企業である可能性が大きいのからではないか。栗田レポートに掲載されている調査対象の一覧表の「私の履歴書」登場企業名は,大型株に投資する投資信託の銘柄リストを眺めているような感じで,各社とも登場時点での業績は悪くない。
ちなみに,最近登場7社をみると,日立製作所,ニトリホールディングス,日揮,コマツ,アサヒグループホールディングス,トヨタ自動車,東芝,と錚々たる顔ぶれである。
 不正決算疑惑で揺れる東芝は,「履歴」の呪いがかかったように見える。常務役員に不祥事があったトヨタ自動車も気がかり。東洋ゴムは「履歴」にまだ登場していない。日経の「履歴」も人選はやはり正しかった?(同社の内部統制不備が不祥事不正対応の原因となった。弁護士社外取締役も不備を指摘しなかった。社外取締役導入企業が急増したが,外部の人選に残された課題はまだまだある。)
 「履歴」後のROE下落は,平均回帰しただけなのか。たとえば,極端に長身の父親の息子は,平均よりも長身だが父親よりは背が低い。このような「平均回帰」の傾向を元々持っているからなのか。
 相対ROEを,「相対的な企業業績の好調度合い」と考えれば,日経が「私の履歴書」に取り上げたくなるような企業は,傾向として業績が大いに好調な企業である場合が多いと推定される。なんだ。そうだったのか。日経新聞は好調の企業を選んで人選していたのか。
参考までに,2013年の企業人は,
 2月:馬場彰(オンワードホールディングス名誉顧問)
 4月:渡文明(JXホールディングス相談役)
 6月:篠原欣子(テンプホールディングス社長)
上記3銘柄を連載最初の営業日の始値と,その後3ヵ月間の高値を比較検証してみた。
オンワードホールディングス(東証1部)
2月始値700円,その後3ヵ月間の高値971円(上昇率38.7%)。
JXホールディングス(東証1部)
4月始値526円,その後3ヵ月間の高値592円(上昇率12.5%)
テンプホールディングス(東証1部)
6月始値2350円,その後3ヵ月の高値2727円(上昇率16.0%)
昨年,キッコーマン茂木名誉会長の「履歴」紹介中,同社の株価が前期実績から大きく上昇した。海外市場が好調に転じたこと,豆乳の市場が拡大したことが上昇の理由で,「履歴」のおかげではなさそうだ。私の結論をいうと,「履歴」紹介は業績好調の企業から功労者が選ばれる傾向があっても,その企業のROEの上昇・下降とは関係しない。個人も企業人も困難な状況を克服し努力した人が選ばれていると思う。「呪い」はただの偶然だ。
 国立大学法人総長・学長,副学長の「履歴」は,なんと過去10人もあった。有名な人ばかりだ。何が彼らを登場させたのか。大学人としての評価か,個人としての評価か。
財務総合ランキングなら,1位北大,2位阪大,3位京大,4位名大,5位東北大と並ぶ。しかし,財務は資産と負債の外,利益率でランク付けされる。大学の総合力ではない。
具体的には,経営効率(総資本経常利益率,自己資本経常利益率)とその成長性,あとは固定費比率,流動費比率のバランスを見る。企業で言うと,存続に必要な健全性は保たれているか,倒産のおそれはないかの観点である。1株あたりの利益のような概念はない。基本財産はあっても,それを運用して幾ら利益を上げるかのような指標ではない。それ以外はどうなのか。指標のないものも多い。文化の数値指標があってもいい。文化の深度を数値化するのは難しいが,広がりは数値化されてもいいだろう。

(注)ROE(株主資本利益率)=1株あたりの利益(EPS)÷1株あたりの株主資本(BPS)
1株あたりの利益(EPS)=当期純利益÷発行済み株式数
1株あたりの株主資本(BPS)=株主資本※÷発行済み株式数

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March 26, 2015

数学は権利を創出するか(6)

  臨床医学検査はどの程度,治療に役立っているか。
生涯を通して日本人女性の12人に1人が乳がんになる。
40歳の女性のうち,定期的な検査を受ける人の1%が乳がんにかかっていることは知られている(30~64歳の女性の死因のトップが乳がん)。これを「1%の事前確率」と呼ぼう。尤も,「1%」は,近年,増えつつあるようだ。
乳がんの女性のうち,80%はマンモグラフィで陽性をしめす。また,乳がんでない女性のうち10%もマンモグラフィで陽性(偽陽性)を示す。ここがポイントだ。
さて,この年齢グループに属するある女性Aが,定期検診のマンモグラフィで陽性を示した。この人が乳がんである確率は幾らか?
 次のように考える。つまり,Aは陽性のがんの確率80%に含まれるか,がんでないのに陽性を示した10%に含まれるかのどちらかだ。前者は乳がん。後者は偽の乳がん。
どちらであるか検査結果だけでは判別できない。そこでベイズ推定が用いられる。
 乳がん検査を受ける人が1000人いるとする。がんの確率は事前確率の1%だから,検査を受ける1000人のうち10人が実際に乳がん患者と推定できる。この10人のうち8人(80%)がマンモグラフィで陽性を示すのである。
一方,乳がんでない女性990人のうち,10%にあたる99人も陽性(偽陽性)を示した。
陽性を示した人のうち,乳がんである確率をどう計算するか。
実際に乳がんである患者は1%(10人)である事は事前試験で分かっている。マンモグラフィで陽性反応を示すがん患者は8人。これに偽陽性の99人を加える。8+99=107人。つまり,がん患者である確率は,8÷107=0.0748(7.48%)である。(Ian Ayres前掲書356頁参照)

つぎに,偽陽性の人の確率は,次のように求める。
女性Aを「患者が病気である」という事象,Bを「結果が陽性だった」という事象とする。陽性を示した人のうち真の陽性だった確率は,ベイズの定理により,
    P(A | B)={P(B | A) P(A)}÷{P(B | A)P(A) + P(B | A^C)P(A^C)}
   ={0.80× 0.001}÷{0.80×0.001 + 0.10×0.80}=0.0099
よって,偽陽性(陽性を示したががんでない)確率は,1 − 0.019 = 0.9901 (99%)である。

もちろん,がん患者のうち80%が陽性を示したから,それが真性のがん患者であると考えるのは間違っている。がん患者100人のうち80人が陽性を示すが,残り20人も隠れ患者がいる。ほとんどの医師がマンモグラフィで陽性を示した80人(8割)をがんの確率と思い込んでしまう。彼らは確率統計の読み方を間違えているのだ。

つぎに,マンモグラフィで陰性を示した女性(がんであるのに陰性を示した2人及び健常者の合計)のうち,がん患者である確率はどうやって求めるか。
1000人中,10人ががんという事前確率に戻ろう。つまり,陽性を示した8人はがんで,陽性でない2人もがん。
すでに説明したように,陽性反応は陽性8人+偽陽性99人=107人。すると残り893人がはっきりした陰性(偽陽性でもない)。
ただし,この陰性の中にもがん患者2人が潜んでいる。∴2÷893=0.0022。
Ian Ayres(前掲書451頁脚注)は,ベイズ推定により,がんの事前確率1%に,陽性を示した人ががんである見込み率7.5%を掛け,隠れがんの確率は7.5%になるという。
はて?これは事後確率の計算ではないか。陰性を示した人の何人ががんなのか分からない。私が脚注を読み違えているのか。誰か教えてほしい。

ベイズ推定はデータを得る前の分布とデータを得た後の分布を比べることはしない。上記で言えば,1%が事前分布になる。
         事後分布=(事前分布×尤度)÷データの分布
がんの発生率が高くなれば事前分布も違ってくるが,事前分布を一様の分布であると仮定すれば,一様の分布に尤度が最大の値を掛けることで確率も高くなる。数学的にもそうなるらしい。ベイズ推定では特定の値を求めず,確率を求めるのである。分布を直接推定する。正規分布まで推定しない。
 なお,最尤法は推定値が正規分布であると仮定する。
正規分布にならないパラメータ(母数)は排除されるから信頼区間を正確に推定できない。 尤度(ゆうど)は,統計学においてある前提条件に従って結果が出現する場合に,逆に観察結果からみて前提条件が「何々であった」と推測する尤もらしさを表す数値を「何々」を変数とする関数として捉えたものである。その相対値に意味がある。
例えば,服装を見てあの人は男か女かを推定する。背広を着ていれば男,スカートをはいていれば女と思う。その根拠は,男ならこういう格好をする,女ならこういう格好をするはずだという経験則にある。これで男らしさ,女らしさを仮説する。この場合の事前分布は,男がスカートをはく確率は例えば1%以下。女が背広を着る確率は1%以下という確率(男らしさ,女らしさ)をいう。この事前分布は思い込みであるかもしれない。この思い込みを悪用すれば,犯罪も可能である。尤も,現代の科学捜査は忍者の変装をしても容易に見破ってしまう。たとえ全身を黒衣で覆っていても男女・人物を特定してしまう。
最尤法の結果はベイズ推定の結果と余り変わらない。いずれにせよ,ベイズ推定も検査結果を資料にした推定である。もし隠れがんまでみつけようとするなら,マンモグラフィだけでなく超音波検査・細胞診検査・病理検査しなければならない。医師は,顕微鏡でのぞくまでは,良性か悪性か確実に鑑別できないのだ。

群馬大学附属病院の腹腔鏡手術が問題視されている。同じ医師が85人の患者に執刀して8人が死亡した。数値で言えば8.6%。この数値は群馬大学附属病院の8.6%という死亡率は,全国平均の18倍。85-8=77人が生存しているから手術は成功した,といえるか。答えはNOだ。たとえ末期がんの患者に対する手術であってもだ。医師が同じ人物であってもなくても,この死亡率は高い。腹腔鏡手術はリスクが多く,高度の技術を必要とする。執刀医が1人か複数人かは重要ではない。リスクを省みず高難度手術をやらせる大学病院にこそ問題がある。
この手術は,医師なら一度はチャレンジしたい保険適応にならない先進医療と思われている。それだけに,事前の説明が強く求められる。群馬大学報告書によればリスクについての事前説明がなかった。腹腔鏡手術以外の手術があることも説明されなかった。
手術もどのように行われたかの記録も不十分。技術も不足していた。患者が死亡しているにも拘わらず,術後良好と学会で虚偽の報告をしていた。
千葉県がんセンターでも,昨年,経験の浅い医師らが新しい手法の手術を繰り返していた。
「何年も前から,消化器外科では経験が少ない医者たちが腹腔鏡手術で事故を繰り返していただけでなく,安全性が確立されていない保険外の外科手術もかなり行っていました。術後とたんに症状が悪化,翌日に再手術,ということがしょっちゅうあったんです」と。
医師らにとって,もはや手術は「治療」ではなく「実験」の感覚だった。

東京女子医大病院でも,二歳児に麻酔投与して死亡させている。子供はICUのベッドで昏睡したまま死亡した。手術自体は,「頸部リンパ管腫ピシバニール注入術」で簡単。ところが,医師は子供に使ってはいけない鎮静剤・プロポフォールを投与した。術中に子供が動いて管が外れるから全身麻酔して人工呼吸器につないだというのだ。麻酔科医師は「プロポフォール・インフュージョン・シンドローム(副作用)というものがあることは知っていました」という。人工呼吸している小児には禁忌とされている。使用量は体重に比例した40mgの3.5倍であった。なぜ,この量を使用したかの説明もない。
岡山大学病院,京都府立医大でも,論文不正が指摘された。いずれも,大学教授と製薬会社との癒着が注目されている。

February 22, 2006 New York Timesが"Why Doctors So Often Get It Wrong"を掲載した。
数年前のある週末,Georgiaの田舎から出てきた4歳の男の子の両親は,Atlanta北部の小児病院にその子供を連れてきた。家族はすでに多くの病院を経てきた。彼らの息子は何ヶ月間も調子が悪く,ずっと熱を伴っていた。
週末勤務であった医者は血液検査をするように言い,結果は白血病であることを示していた。その子供の病気には,皮膚に少し茶褐色の斑点があるというような,つじつまが合わない点がいくつか見られた。しかしその医者には月曜の午後に始める化学療法の強行日程の予定が入っていた。結局,彼らの敵は時間であった。現代医学で用いられる全ての手段(例えば血液検査・MRI・内視鏡)を使うようになり,あなたはおそらく誤診など稀なものになったと考えるだろう。しかしその考えは誤りである。死体解剖の研究は,医者が2割の確率で致死的な病気を誤診してしまっているということを示している。そのため何百万人という患者が間違った病気として扱われている。あきれることに,この誤診の割合は1930年代から変わっていない。通常感嘆符(!)を使うことのないアメリカ医学協会誌の記事が「全く改善なし!」という表現で現状をまとめている。

"2割"の誤診がなぜ減らないか。科学的先端を走る検査が行われているのに医師の能力が追いつかないのでは,何のための先端医療なのか,何のための医療統計なのか考え込んでしまう。

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March 13, 2015

数学は権利を創出するか(5)

良いワインと,そうでないワインをどこで見分けるか。
良いワインはきちんと保存しておけばいつまでもおいしい。良くないワインはかえってまずくなる。
将来の経済的効果(値上がり期待)がまるで違う。だが,いま飲んでしまえば,そんなに味覚は変わらない。飲んでしまうと,将来値上がりするという付加価値,期待値は消滅する。飲んでおいしいかっただけが取り柄だ。それではすぐ飲もうと決め,何を基準にワインを選ぶか。ソムリエが勧めるものを信用して飲むか。自分の知識と経験によて選択の巾を決めておいて,その中で又はこれに最も近いものぶか。
私の場合は後者である。それには理由がある。
値段がreasonableでも,ソムリエが勧めた銘柄を,そのまま信用して注文することはしない。自分が選んだワインが予想した通りおいしければ,満足度は格付け以上に高くなる。いいものを選んだ,という満足感がワインをよりおいしく感じさせるのである。掘り出し物を見つけた,うれしい,という感じである。
これは最近の神経経済学からも説明が可能である。(後述)

ワインの評価はどこで決まるか。産地・天候・ぶどうの種類と熟成度・摘み取った後の熟成に仕方で決まる。これで格付けされる。市場に何処産・何年物のブランドをつけて売り出される。
でも,本当においしいワインかは別の話。栓を開けてみないと本当のことは分からない。
格付けが高いワインは誰が飲んでもいつでもおいしいか。これには,いろんな議論がある。
どの銘柄のワインを飲んでも,おいしさは値段ほど変わらないという説がある。ラベルを剥がしたワインを飲み比べ,どれが一番おいしく感じたかを問い,高い評価を受けている銘柄でも飲んだ瞬間はそれほどに感じないことがある。
ところが,格付けの高いラベルを見せられると,飲む前からおいしいはずと思ってしまう。有名ワイナリーの気候のいい年でできたワインはおいしい。常識的にはそうだ。店員もそう勧める。値段も高い。そうするとラベルを見ただけで,このワインもおいしいと思い込む。この思い込みは正しいか。
これが,主流派経済学と神経経済学が交錯するところである。

主流派経済学は人間が合理的な判断・選択をする合理的経済人を前提にして,計量・数理科学的に普遍性のある結論を導き出そうとする。
2002年の米国心理学者Daniel Kahnemanの認知心理学研究の知見を経済学に導入し,不確実性下における人間の判断と意思決定に関して,新たな研究分野を切り開いた(ノーベル経済学賞を受賞し,行動経済学を切り開いた)。行動経済学はその枠組みを認知科学によっているが,神経経済学は脳科学を枠組みとした行動科学の立場をとる。
この神経経済学をビジネスに応用するneuro marketingが最近,話題を提供している。
脳科学の立場から,脳の反応を計測することで,消費者心理や好感度の仕組みを解明し,marketingに応用しようというのである。
次のような実験がある。(2008年Stanford.Univ,California Institute of Technologyの共同研究)
21才から30才までの被験者にワインを毎回異なった価格を告げて数回飲んでもらい,そのときの脳活動をfMRI(脳や脊髄の活動に関連した血流動態反応を視覚化する方法)で測定した。その結果,ワインの価格が高くなると,主観的においしく感じる意見が多くなった。経験による快をつかさどると考えられる中部眼窩前頭皮質の動きが活発化したことを示した。ところが,被験者に数回飲ませたワインは同じワインだった。どういうことなのか。
 被験者は同じワインを飲んでいても,価格の高いワインのほうがおいしいと感じる。
脳の働きからも楽しさや心地よさを司る部位が活発に稼動していることが明らかになったのである。marketingがこれを応用できれば,利益につながる。消費者はいつも合理的に行動するのではないからである。消費者心理を解明できれば,商品は売れるし,株価も上がる。株でも売りと買いの局面があり,これに逆らうと(逆張り)一人損をする。他人が儲かっているからといって,その尻馬に乗っても,大損してしまうこともある。
ところが,株価の上下動に経済的合理性はほとんどない。というか,理論経済だけでは説明できない。なぜこんなことが起こりうるのか。投資は経済より投資家の心理的状況で決まることが多いことを意味している。
人の意思決定は決して合理的に行われてはいない。人間関係の形成では特にそういえる。

Beaune(仏中東部)にワインを有料で試飲して回る古い建物がある。全部の銘柄を見て回るだけで1時間はかかる。種類も100以上。幾ら飲んでもかまわないが,一口ずつ飲むと終わりに近くなる頃はもう飲めない。それまでに酔ってしまっているからだ。実は,終わりに近い所に良い樽ワインが置いてある。だから初めのワインは飲み込むのを我慢し,口に含んで味わいと香りをテストして吐き出すのがこつ。今度行ったときは,失敗しないつもりだ。
一方,生産家が樽でテイストすると,手間がかかって仕方がない。Whiskyと違ってブレンドせず樽で18ヶ月から2年間熟成させたものを濾過して飲む。
樽に入っている期間が長すぎて,どんな味になるかは予測できない。熟成前は木の香が移っていて臭いし,まずい。取引することもできない。熟成後の試飲を待たずに品質を予測する方法がないものか。
そこで,統計を用いて出来具合を判定する方法が考案された。
収穫期に雨が少なくて,夏の平均気温が高いと,ぶどうが熟して果汁が濃くなる。猛暑だと,熟して酸味が減る。暑くて乾燥した年ほど,伝説級のヴィンテージワインが出来る。
ボルドーワインでいうと,品質の計算式は,次のようになるらしい。
 -12.145+0.001167×冬の降雨量(10月~3月;mm)+0.616(4~9月平均気温;C)×育成期平均気温-0.00386×収穫期降雨量8,9月;mm)
 +0.0238×熟成年数
Ian Ayres前掲書序章もこの計算式を引用しているが,数式に引用の間違いがあるという指摘がなされている
また,数式は,NHKのドラマ「ハードナッツ!~数学girlの恋する事件簿」第5回“ワインの殺意の方程式”でも間違って引用されたらしい。つまり61年物だと,
 -12.145+0.00117×830+0.616×17.3-0.00386×38+0.0238×(2014-1961)
という計算式になるはずだ(50年を超えると,ボルドーワインは劣化していくから,それ以上長いものには当てはまらない。)。
この数式の正しさは,飲んだ結果によって証明されている。
飲まずにワインを評価できるのであれば,デーラーや評論家は不要になる。当然,デイーラー達はこの数式にかみついた。1989年のボルドーワインは今世紀最高のワインになるとアッシェンフェルターは予測し,ワイン評論家達は“ばかげている”と激怒した。1990年,彼はさらに大胆な予測をした。“1990年物は89年物以上にすばらしい出来になる"と。
 結果はどちらもアッシェンフェルターの言うとおりだった。何故なのか。1986年以来,育成期の気温が平年以下の年は1年もなかった。この気候はボルドーワインの育成に最適だった。
今日では,伝統的な評論家達ももはや彼の予測式を用いるようになっている。デーラーは出来が良くない年のワインを良いと言って売ろうとしていたが,彼のおかげで,消費者は商売人の誇大宣伝に引っかからない知恵を身につけることができるようになった。

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February 26, 2015

数学は権利を創出するか(4)

結果がすべて,の医療行為と違って,法律の分野では裁判官が勝敗を決めるから,統計されにくい。それでも,連邦最高裁の判事の憲法判断には,統計的予測がある程度可能といわれている。
憲法裁判ほどではないが,裁判結果を予測しやすい裁判官がいるのも事実である。統計の結果と言うより,その人の判決歴から推測される傾向と言うべきだろう。
 私はSherlock Holmes(作者Sir Arthur Ignatius Conan Doyle)の推理小説「シャーロック・ホームズシリーズ」の主人公が好きで,よく読んだ。主人公Sherlock Holmesは「緋色の研究」に詳しく描かれている。体格は痩身で身長は少なくとも6feet,鷲鼻で角張った顎をもっている。作者Conan Doyleはとがった鼻のIndianの様な風貌を想像していたという。Sherlock Holmesの性格は冷静沈着。行動力に富み,いざ現場に行けば地面を這ってでも事件の一端を逃すまいと血気盛んになる。反対に兄のMycroft Holmesは,Sherlockよりも鋭敏な頭脳を持つが,捜査に興味がない為に探偵にはならなかった(「ギリシャ語通訳」)。
 主人公Sherlockはviolinの演奏にも長けており,ストラディヴァリ製のそれを所有している。boxingはpro級の腕前。化学実験が趣味。heavy smokerである。事件がなく退屈すると拳銃で壁に発砲して弾痕でヴィクトリア女王のinitialを書いたり,コカイン(cocaine)やモルヒネ(morphine)を使う薬物依存があった。薬物に手を出すのは相棒の開業医John H. Watsonが何年もかけて止めさせた。後年になるとdilettante風の退廃的な生活態度をやめ,野山や草木に親しむ保守的な英国紳士風の様子を見せるようになる。
 このような人格が犯罪捜査に独自の視点と行動をもたらした。現代の犯罪捜査とは違って,猟犬のように,わずかな痕跡を見つけ出してしつこく追跡する。犯人を割り出すその手法は泥臭く人間臭く,作者自身の性格を反映しているのではないかと思われる。
 現代の監視カメラやDNA鑑定で簡単に犯人を特定するやり方に比べて,読んで楽しい。昔流の犯罪捜査は,犯罪の発生を減らすのに役立たないかも知れない。新らしいタイプの病的人間はいつの時代にもいるからだ。最近報道されるひどい犯罪には,なぜこんな事をしでかしたのだろうと,その深層心理に私の貧弱な想像力では追いつかないことが増えた。
Sherlockをもってしても,今日の犯罪の犯行時の心理を読み取ることは難しいだろう。現代の凶悪な事件の解明には,精神病理学psychopathology,異常心理学abnormal psychologyからのapproachが欠かせないと思う。ごくまれに病的な刑事事件の弁護を担当すると,捜査結果に表われたいわゆる犯行動機ではとうてい理解できないような病的精神構造に遭遇する事がある。単に精神病で割り切って事件の原因を解明を怠ると,犯罪の本当の原因を解明したことにならない。被告人を弁護できたという安堵感も得られない。なぜそのような犯罪が生じたか,減らないか,一つの事件を丁寧に掘り下げて人と環境との関係を分析すべきだとつくづく思う。さもなくば,よく分からなかったまま,捜査・裁判例だけが増えていく。偶然・偶発で片付けてはいけない。犯罪統計上も例外で片付けてはいけない。

2013年,アメリカ合衆国司法省が過去20年間の銃犯罪を調査したところ,2011年の銃による殺人は1993年から39%減少し,死亡に至らなかった事件の件数も69%減少するなど,現在のアメリカの銃犯罪は減少傾向にあった。実情は,1万2661人が死亡。うち8583人が小火器によるもの。つまり68%を占めている。
ピュー・リサーチ・センターによる合衆国の世論調査では,国民の約56%が,銃犯罪が増加していると回答している。統計値と国民の実感に,ずれがある。銃社会が犯罪を減らすという幻想があるとすれば,実態とは合致しないのだ。
一方,世界で最も平和な国1位はアイスランドであるという。暴力犯罪にあう危険性は非常に低い。ところが,大人の16,2%が銃を所有しているという。男女別で見ると成人男性の25,3%,成人女性の7,3%が銃の所有者3年連続で1位。1人当たりの銃所持率は世界で15位。
種明かしすると,アイスランドの「銃」は,小銃ではなくて猟銃である。小銃,スタンガン,簡易警棒の所有は禁止されている。銃所持の統計値だけでは,社会の実態を掴むことができない。
それでも,猟銃が犯罪に使われていないという結果は尊敬に値する。

計量経済学が分析すると,銃社会は犯罪を減らすという結論がえられるのか。Yale University経済学部ジョン・ロット教授の論文は,銃の犯罪抑止効果を強調し,それが銃保持論者の聖書とされた。彼の計量分析能力は優れていたが,銃保持権支持者や政治家に利用され,銃保持の自由化を叫ぶ有力な根拠にされた。しかし,彼の回帰分析には誤りがあった。犯罪がある年(たとえば1988年),ある地域(たとえば北東部)で行われたのをcontrolしようとしている。実際のデータをみると,その変数はゼロのままだった。これを直して回帰計算すると,犯罪率はかえって増えることが分かった。
ロット教授は,他の学者が「彼の得た結果を“再現”してみると,犯罪は全然減らないという結果になった」という著書「やばい経済学」にかみついて,名誉毀損されたと主張し提訴した。地区裁判所は,07年,「再現」という言葉に名誉毀損する意味は含まれていない,として提訴を却下した。
のちにGeorgetown Universityイェンズ・ルートウィッグ准教授は,1人あたりの銃による死亡者の平均の社会的費用は日本円にして7~8千万円(80円換算)に近くなると計算した。これは銃によって倒れた死傷者への医療ケアにかかる費用,銃による負傷のために仕事が出来なくなった場合の失われた機会費用などなどあらゆる費用を合計したものだ。つまり,銃所持を自由に認めると,それに伴う社会的費用も際限なく増えると説いた。
上述のロット事件は,絶対計算がいかに誤解を生じやすいものかを示している。ロット自身は自分の絶対計算と解釈に自信を持ち自説を曲げていないが,計量計算は万人に開放され検証されることによってのみ,その正しさが証明されることが常識となっている。(Ian Ayres前掲書第7章)

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February 17, 2015

数学は権利を創出するか(3)

数学は医療を支えている。病理変化の数学的解析は医療の現場で大いに役立っている。ただし,Doctor Xが医療現場で微分・積分を行っているわけではない。肉体の疾患はバイタルサインに続くいろんな生体反応の変化として捉えられ数値化されて,医師の治療方針の決定に役立てられる。集められたデータは同じような病変を持つ患者の治療の重要な指針とされる。
 日経新聞の連載小説が,病気腎移植の可否で紛糾する臨床医学の悩みを取り上げている(「禁断のスペルカル」久間十義)。がん患者の腎臓を移植すれば,倫理に反し違法なのか。この問への正しい答えは,最終的には多くの患者の統計値が導き出してくれるのではないか。専門家,大家の大所高所の意見でなく,実績が治療法を決定するのではないか。
 腎移植が刑事事件に問われた
09年以降再開された移植手術ではドナー,レシピエントの健康状態は順調という宇和島徳州会病院で妹から兄への生体腎臓移植が,非親族間の臓器移植にあたり,臓器移植法11条「臓器売買の禁止」違反であるというのである。執刀医は「裸足にサンダル,下着に白衣」という風変わりな人柄として注目され,マスコミの意見は移植の是非で2分された。平成18年12月6日,松山地裁は患者(レシピエント)と仲介者に懲役1年執行猶予3年を言い渡した(確定)。判決は臓器移植は未だ治療法として確立されていないという。本当にそうなのか。
 慢性腎不全患者の95%が血液透析を,4%が腹膜透析を受けている。透析には,長時間続けると合併症を起こすリスクがある。日常生活や食事に制限がある。慢性的な疲労感に加え透析自体の身体的負担も大きい。24年末現在で日本には31万人の透析患者がおり,年1万人のペースで増え続けている。透析の効果であるが,5年生存率は59.6%,10年生存率は36%。ゆえに治療法としての生体腎移植が求められている。
献腎移植に供される腎臓は年間150から200件。希望する患者は1万人以上。多くの患者が移植を待っている。腎移植総数は年間1000例足らず。その大部分が家族からの生体腎移植で,死体腎移植や脳死腎移植は合わせて150例程度に過ぎない。
 生体腎移植を受けた患者の5年生存率は95.9%,10年生存率は91.9%である。生着率は5年で90.7%,1年で72%。移植される腎臓はすべてが健康な腎臓ではない。これが腎移植是非の小説のテーマになっている。
 91年以降の病気腎移植は42例ある。「修復腎」とは病気の腎臓の病変を切除して修復した腎臓である。病気腎の多くは廃棄されている。病気腎を移植するとレシピエントはドナーの病気も貰うのか。この答えはまだ見つかっていない。摘出された腎臓は全国で1万2000個もあり,がんの腎臓も2000個ある。刑事裁判の事案は関係する病院間で治療のため臓器のやりとりがあった。レシピエントの同意を得ずに移植された事もあった。廃棄されるくらいなら,移植を待ち続ける患者に提供するべきではないか。しかし,医師会・学会・官庁の認識は違う。倫理が移植を阻んでいる。厚労省は平成19年,臓器移植のガイドラインを改正した。
 修復された腎でもドナーのがんを移植するおそれがあるか。ドナーのがんが持ち込まれる可能性が43%あるという一方で,がんの伝播リスクは5%までとする医学者の論文があり,帰一しない。ヨーロッパ泌尿器科会は悪性腫瘍の生体腎移植を絶対禁忌としている。
 日本移植学会は判決の翌年,危険であり医学的妥当性がないとの声明を発表し,厚労省は原則禁止を決めた。移植学会幹部は医師の病気腎移植を批判した。腎臓病患者らは治療を受ける権利が侵害されたとして,学会幹部ら5人に損害賠償を求めた。昨年10月28日,松山地裁は患者らの請求を棄却した。いま高松高裁に係属している。
 松山地裁は「厚生労働省自らの判断と責任で禁止にした」という。そして移植学会の発言と禁止との因果関係を認めなかった。裁判所は修復腎移植が妥当かどうかの答を持っているわけではない。行政の判断だから学会の違法行為は認められない,というのである。

腎移植を認めるべきか,誰がそれを決めるのか。患者に移植を求める権利はないのか。
 日本の腎移植総数は年間1000例足らず。その大部分が家族からの生体腎移植である。友人からの生体腎移植は許されていない。死体腎移植は極端に少ない。フィリピンや中国で腎移植を受ける日本人が年間100人を超えている。国や移植学界はこの実情をどう改善しようとしているのか。病気腎移植で症状が悪化した症例がどれくらいあるか調べているはずだが,公表資料にない。
学会はただ,医学的に評価が確立していない病気腎移植は倫理委員会で承認されていない,データがあるから妥当性がないと建前論,医師の共通認識論のみをいい,病気腎移植を否定する明確な論証をしていない。外から見て大変分かりにくい議論をしている。新聞小説の主人公が刑事事件に問われたり,保険医登録取消になったりしない展開が望ましいと思っている。

前立腺がん患者は悩んでいる。前立腺がんの根治手術をしても約35%の患者に10年以内にPSAは上昇すると医師に告げられる。PSAが上昇するということは,体内に前立腺がん細胞が増殖していることを意味する。目に見えなくても,再発を意味しているからである。
統計によれば手術5年後の生存率は93.8%。生きていれば生存者に数えられる。本人にとって生死の問題だが,医療統計上は数値に置き換わる。93.8%といわれても自分がそれに当てはまるか心配だ。
PSAの上昇を認めた時に、その後の経過(死亡のリスク)を予測できれば、治療の選択に役立つ。進行が早いと予測される場合には、多少の副作用のデメリットがあってもがんを抑える治療(ホルモン療法や抗がん剤治療)が必要になる。ただし,副作用があるから,死亡のリスクが低い場合には副作用のリスクを犯してまで強い治療を受ける必要性は無い。研究論文は、前立腺がんの根治手術後にPSAの上昇を認めた379例について、その後の経過(PSAの変化と死亡の有無)を平均約10年間(1~20年間)追跡して、予後に関連する要因を解析した。
 PSAが 2 倍になるまでの期間と生存率との関係が調査の対象となった。Johns Hopkins UniversityのFleedland医師らは,①PSAが2倍②Gleeson値のランク③PSA再上昇までの期間で分類して5年,10年,15年後の生存率を調査報告した。
3つの因子が悪いと,5年生存率は51%,10年生存率は1%,15年生存率は1%以下である。PSAだけをみると,2倍になるまでの期間が15か月以上,術後の再発までの期間が 3 年超であった82例の生存率は,5年後で100%、10年後で98%、15年後で94%という。少なくとも2倍未満を15ヶ月持ちこたえると,生存率は飛躍的に高まる。逆に早く2倍を超えてしまうと生存率は低くなる,といえそうだ。患者や医師が前立腺がん手術後の再発による死亡リスクを評価し,さらに治療が必要かどうかを判断するうえでこの調査は役立つはずだ。
 ただ,統計がいつも正しい結論を示しているとはいえない。カルシウムサプリメントが腰骨骨折の治療に役立つかの調査結果がある。まったく影響せず,かえって腎臓結石のリスクが高まったそうだ。なぜ医師たちは摂取を勧めたのか。「害がないと思ったからだ」そうだ。何が何を引き起こしたかという調査結果は重要だが,統計の目的を正しく設定し統計の手法を検討し,表示された数値の原因を検討しないで,報告だけで治療・薬剤投与すると間違いを犯す。

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January 22, 2015

数学は権利を創出するか(2)

 数学の話題には事欠かない。素材はたくさんある。
トヨタ自動車は,燃料電池自動車の普及に向けて,燃料電池に関する特許を無償で提供すると発表した。トヨタが提供するのは,単独で持っている5,680件の燃料電池関連の特許。水素と酸素を反応させて発電する燃料電池自動車の心臓部や,水素タンク,システム制御関連などが含まれている。トヨタは他の自動車メーカーなどに対して,2020年末までに期間を限定し,すべて無償で提供するという。
一方,インフラとなる水素ステーションに関連する特許の提供に関しては期限を設けていない。年末に燃料電池自動車「ミライ」を世界で初めて一般向けに販売した。特許の開放によってトヨタ方式を広め普及を後押しする狙いがある。燃料電池車は世界の自動車メーカーも開発に前向き。競合メーカーも高い関心を示している。公開予定の特許の利益(独占の利益)は計り知れない。

先週,ノーベル賞学者中村教授の意見広告(1.16日経)を見た。気づかれただろうか。
教授がいうには,発明の超過利益=①「発明にかかる製品が生んだ利益」-(「会社の通常の利益」+「会社がその発明を非独占的に無償で使用できる権利の対価」)+②「第三者からの特許ライセンス料」だと試算している。青色LEDの発明の対価としては,会社の得た独占的利益(実施料相当額)1208億円のうち,教授の貢献度50%を考慮して認めた604億円(東京地判)ではなく,自説の計算式を採用すべきと言われるのである。教授は裁判で,会社が発明を使って3357億円の利益(=超過収益)を上げている。ただし,トーマツ鑑定では製品化から口頭弁論終結時までの独占の利益が493億円という。少なくとも,これが相当対価だ。その算式は,
 特許権の相当対価=特許に係る独占の利益×特許権の貢献度×発明者の貢献度
そして自分の貢献度がすべてだ。会社が独占する利益3357億円が,自分の職務発明の対価であると主張されていた。トーマツ鑑定がどうやって493億円の独占的利益を算出したか詳細は不明だが,平成6年から22年までの税引後営業利益計(予測値)から,LED以外の資本の期待利益を控除して算出した超過収益額2652億円をベースにしたようだ。教授はこのように主張された。
反対に,研究開発に投資した企業が権利を得るべきだという意見もある。教授の意見広告は,特許庁の法改正が,仕事上の発明を原則的に会社のものに帰属させることに反対だ。会社に帰属させると,社員の意欲を削ぐ心配がある。
燃料電池もLEDも特許で得られる利益が権利の値段になる。それは次のように計算されると思われる。
  他者が実施するとき  独占の利益=実施料相当額(特許製品の売上げ×実施料率)
  自分が利用するとき  独占の利益=超過利益×仮装実施料率×各発明の寄与率
職務上の発明が特許されると,会社は無償の通常実施権を取得し,特許発明を自由に実施できる。

東京地判平成16年1月30日の要旨と検討
 従業者によって職務発明がされた場合,従業者は「相当の対価」を請求できる。勤務規則が会社に譲渡すると定めていれば,「契約」とみなして会社に譲渡したと解される。①職務発明の対価,②使用者の受けるべき利益の額,使用者の貢献度が次の問題となる。
 まず,使用者は無償の通常実施権(特許法35条1項)を取得する。使用者が当該発明に関する権利を承継することによって受けるべき利益(35条4項)は,発明を実施して得られる利益ではなく,特許権の取得により当該発明を実施する権利を独占することによって得られる利益(独占の利益)と解される。
独占の利益とは,①使用者が当該特許発明の実施を他社に許諾している場合には,それによって得られる実施料収入がこれに該る。
②他社に実施許諾していない場合には,特許権の効力として他社に特許発明の実施を禁止したことに基づいて使用者があげた利益がこれに該る。②の場合,使用者が発明を実施した製品を製造販売しているときは,他社に対する禁止の効果として,実施許諾していた場合に予想される売上高と比較して,これを上回る売上高(超過売上高)がこれに該る。すなわち,
  1.超過売上=他社に実施許諾してないときの売上-実施許諾したときの売上
使用者自身が発明自体を実施していなくても,他社に発明の実施を禁止した効果として,発明の代替技術を実した製品の販売について使用者が市場において優位な立場を獲得しているなら,それによる超過売上高に基づく利益は,独占の利益に該る。
  2.超過売上=市場で優位に立つ売上-優位に立たない売上
③他社に実施許諾していない場合は,仮に他社に実施許諾した場合を想定して,その場合に得られる実施料収入として,独占の利益を算定することも考えられる。
 3.独占の利益=他社に実施許諾したと想定した場合の実施料収入

従業者と使用者との関係はどうなのか。
従業者の貢献度を数値化するのである。会社の職務として発明を行い,そのために会社が研究資材・資金や従業者への給与を負担し,職務発明の完成に貢献する。だから,発明者と会社との衡平を考慮し,発明者が特許を得たときは,会社が通常実施権を得る。発明者が会社に職務発明について特許権を譲渡したときは,相当の対価の算定に際し,会社の貢献度を考慮する。会社の貢献度を算出する事情としてはいろいろ考慮される。発明にあたって会社が負担した費用(研究費,資材,発明者の給与等),発明完成までの事情,権利取得過程,事業化の過程等も参酌される。こうして,裁判所の特許独占の利益の考え方が示された。
この判決で,会社の超過売上高は売上げの少なくとも2分の1以上あるとされた。会社の特許独占の利益は,算式1による「2分の1」か,又は算式3の実施料収入となる。
1の算式は,製品への発明の寄与率が明らかでなく,将来の設備投資や資金調達も必要なので採用しにくい。実施料収入の方が計算しやすい。よって,3の算式を採用する。こうして,実施料率を20%とし,実施料額を算定した。
会社の独占の利益は1兆2086億円×0.5×0.2=1208億円 発明者の貢献度はその50%=604億円   
意見広告との違いは明らかである。意見広告は,発明にかかる製品の利益が特許の対価の計算の出発点になっている。もし世界が受ける特許発明の利益が独占の利益計算の基礎ということになると,職務発明は人類に対し,多大の恩恵と同時に巨額の経済的負担をもたらすことになる。
特許事件は開発途上の思考と数字操作(数学)から成り立っている。法が具体的に適用される過程,どれが正解かは,いまだ世界が共有できる理解を得るに至っていない。

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